蒔絵師 紹介

Makieshi

工房和美紗美の作風は、言わば立野敏昭の作風ともいえ、花鳥風月を得意としています。伝統的模様や古典的な図柄をアレンジしながらの幾何学的な作品も数多く残してきました。国宝や重要文化財の修理を手掛けるという特徴もあり、実に「本来なすべき輪島塗とは何ぞや、あるべき姿の輪島塗とは・・・」と禅問答的な思考を繰り返しながら玉虫羽根という輝きに出会うことにより、玉虫羽根蒔絵という技法を生み出しました。

立野 敏昭

Tosiaki Tateno

玉虫に命を懸ける
立野敏昭の生い立ち
苦行の道

幼少の頃より、箸工場で働く父母と兄、弟の5人家族で、経済的に貧窮していたこともあり、朝早くから新聞配達や父母の手伝いを行うという親孝行の少年でした。もの心ついた頃より、父母の仕事を見て育ったお陰で輪島塗という物がとても身近な存在でした。小学生の頃に学校から帰ると、父が箸を切って何百本ものを重ねている姿を見ていると手伝いたくなり、さらに母が箸を塗っては立てている姿を見て手伝っている内に手仕事っていい物だなぁとずっと思っていました。

蒔絵の世界では最初は筆も持たせて貰えないし、技術は先輩の仕草や筆運びや仕上がった作品を見て盗んで覚えるということが当たり前です。その中で日々鍛錬し、失敗を重ね、その後は自分なりの個性を加えて初めて自分の作品ができます。10年経たないと何でも描ける職人にはなれないと言われている蒔絵職人の世界で修業に修行を重ねるのは、夢とはいえ苦行の道と言っても過言ではありません。

輪島塗蒔絵に対する情熱、信条

輪島塗に対する気持ちは、学校を卒業する際、夢と希望に変わり、大好きな絵を描いて一生過ごせる蒔絵、大好きな物づくりに一生携わって毎日が送れる蒔絵師という仕事に魅力を感じ、厳しくつらい徒弟制度ではありますが、すぐに輪島塗蒔絵師の道に飛び込みました。

蒔絵の道に飛び込んだからには誰にも負けたくはないし、誰もが描けないような蒔絵を描いてみたい、見る人に感動を与えられるものを描きたいと人一倍努力しました。

伝統はただ受け継ぐだけでは飽きられて廃れていってしまいます。

そこに新しい技術を取り込んでこそ受け継がれていくのが伝統のあり方だと常日頃心に言い聞かせ、日々精進しています。